LGBTQ+当事者のための認知行動療法(CBT)入門:自分でできる心の整理とケア
はじめに:心の状態に気づき、整理するためのツール「認知行動療法(CBT)」
日々の生活の中で、心が疲れてしまったり、特定の状況で落ち込んだり不安になったりすることは誰にでも起こり得ます。特に、LGBTQ+当事者の方々は、社会的な偏見や差別、理解されないことから生じるストレスなど、特有の困難に直面することが少なくありません。こうした経験は、知らず知らずのうちに心に負担をかけ、メンタルヘルスに影響を与える可能性があります。
「もしかして、自分の考え方が問題を難しくしているのかもしれない」「どうすれば、このつらい気持ちと向き合えるのだろう」と感じている方もいらっしゃるかもしれません。
この記事では、心理療法のひとつである「認知行動療法(CBT)」の基本的な考え方をご紹介します。CBTは、私たちの「考え方(認知)」と「行動」に焦点を当て、心の状態をより良い方向へ導くための実践的なアプローチです。専門家と共に行うのが一般的ですが、その基本的な考え方や一部のワークは、ご自身で日々の心の整理やセルフケアに取り入れることも可能です。
CBTの考え方を知ることで、ご自身の心の動きを理解し、つらい感情に効果的に対処するためのヒントを得られる可能性があります。ぜひ、ご自身のペースで読み進めてみてください。
認知行動療法(CBT)とは:考え方と心の繋がりに目を向ける
認知行動療法(Cognitive Behavioral Therapy, CBT)は、「私たちの感情や行動は、出来事そのものによって直接引き起こされるのではなく、その出来事をどのように『考え(認知)』、『解釈する』かによって影響を受ける」という考えに基づいた心理療法です。
簡単に言うと、同じ出来事が起きても、それに対する考え方や捉え方が違えば、感じる感情や取る行動も変わるということです。
例えば、職場で同僚から少し冷たい態度を取られたとします。
- Aさんの考え方: 「自分は嫌われているんだ。だから冷たくされたんだ。」
- 結果: 落ち込み、その同僚を避けるようになる。
- Bさんの考え方: 「同僚は何か忙しいことがあったのかもしれない。自分の問題ではないだろう。」
- 結果: 特に気分は変わらず、普段通り同僚に接する。
このように、出来事(同僚が冷たい態度)は同じでも、AさんとBさんでは考え方が異なり、感情や行動も全く違ってきます。
CBTでは、こうした「考え方(認知)」、特に現実とかけ離れていたり、自分を苦しめたりするような「偏った考え方」や「自動思考」に焦点を当て、それが感情や行動、さらには身体の反応(例: 緊張してお腹が痛くなる)にどのように影響しているかを理解していきます。そして、これらの要素(認知・感情・行動・身体)は互いに影響し合っていると考えます。
LGBTQ+当事者が経験しやすい「自動思考」の例
私たちは、意識していないところで瞬時に様々なことを考えています。これをCBTでは「自動思考」と呼びます。自動思考は、過去の経験や学習に基づいて形成されるため、無意識のうちに偏りや歪みを含んでいることがあります。
LGBTQ+当事者の方々が、社会的な経験を通して抱きやすい自動思考には、以下のようなものがあるかもしれません。
- 「どうせ自分は理解されない。」
- 「ありのままの自分を出したら、拒絶されるだろう。」
- 「普通に生きることなんてできない。」
- 「自分が悩んでいるのは、自分が『間違っている』からだ。」
- 「この不調は、自分のせいだ。」
- 「将来、安心して暮らせる場所はないかもしれない。」
こうした自動思考は、強い不安や絶望感、自己否定感といった感情を引き起こし、「人と関わるのを避ける」「将来について考えるのをやめる」「自分を責め続ける」といった行動につながることがあります。そして、それがさらに自動思考を強化するという悪循環を生むことも少なくありません。
CBTは、こうした自動思考に気づき、「それは本当に事実に基づいているだろうか?」「他の考え方はできないだろうか?」と検討することで、より柔軟で現実的な考え方を身につけ、感情や行動を良い方向へ変えていくことを目指します。
自分でできるCBTの基本的なワーク:心の繋がりを記録する
CBTのセルフワークとして、まず取り組んでみたいのが、出来事、自動思考、感情、行動の繋がりを記録することです。これにより、自分がどのような状況で、何を考え、どう感じ、どう行動するのか、そのパターンを客観的に把握することができます。
以下のステップと記録シートの例を参考に、ノートやメモアプリなどに書き出してみてください。
ステップ1:出来事を記録する 心が動揺した出来事(例: 職場で特定の話題が出た、SNSで嫌な投稿を見た、漠然と将来のことを考えたなど)を具体的に書き出します。
ステップ2:自動思考を記録する その出来事が起きた時に、頭の中で瞬時に考えたこと、思い浮かんだイメージなどを率直に書き出します。「〜に違いない」「どうせ〜だろう」といった形で浮かんでくることが多いかもしれません。
ステップ3:感情を記録する その時に感じた感情を言葉で表現し、その強さを0%から100%で記録します(例: 不安 80%、悲しみ 50%、怒り 30%)。複数の感情がある場合は全て書き出します。
ステップ4:行動を記録する その出来事に対して、実際に取った行動や取らなかった行動を記録します(例: その場から離れた、考え込まないように別のことをした、誰かに連絡した、何もできなかったなど)。
ステップ5:身体の反応を記録する(任意) 身体にどのような変化があったか記録します(例: 動悸、胃のむかつき、肩の痛み、疲労感など)。
記録シートの例:
| 日付・時間 | 出来事 | 自動思考 | 感情(種類と強さ) | 行動 | 身体の反応(任意) | | :--------- | :-------------------------------------- | :------------------------------------------------- | :----------------------------- | :------------------------------------------- | :----------------- | | XX/YY 15:00 | 職場の休憩時間に、特定の同僚が婚姻の話をしていた | 「自分には関係ない話だ」「こういう輪には入れない」 | 孤独感 70%、悲しみ 40% | スマホを見て会話に入らなかった | なし | | XX/YY 21:00 | 将来の住居費についてニュースを見た | 「この先、パートナーと家を持つなんて無理だ」「不安だ」 | 不安 90%、絶望感 50% | 考えないように、お酒を飲んでごまかした | 胃がキリキリした | | XX/YY 10:00 | 友人からの誘いを断った | 「きっと自分の悩みを話しても分からないだろう」「迷惑をかけるだけだ」 | 罪悪感 60%、億劫 80% | 自宅で一人で過ごした | なし |
この記録を続けることで、自分がどのような状況で、どのような考え方になりやすいのか、そしてそれが感情や行動にどう繋がっているのか、パターンが見えてくることがあります。このパターンに気づくこと自体が、変化への第一歩となります。
さらに進んだCBTの考え方:自動思考に「問いかけ」てみる
記録を通してご自身の自動思考のパターンに気づいたら、次のステップとして、その自動思考が現実に基づいているか、他の考え方はないか、といった「問いかけ」をしてみることで、思考のバランスを取る練習ができます。
記録した自動思考に対して、以下のような問いかけをしてみましょう。
- その考えの根拠となる事実は何だろうか?
- その考えに反する事実は何だろうか?
- 他の可能性は考えられないだろうか?(他の人はどう考えるだろう?)
- その考え方を続けると、どんな良いこと・悪いことがあるだろう?
- 友人が同じ状況だったら、何とアドバイスするだろう?
- 最もひどいケース、最も良いケース、そして現実的なケースは?
- 別の角度から見ると、どう捉えられるだろう?
例えば、先の例の「職場の休憩時間」の自動思考「自分には関係ない話だ」「こういう輪には入れない」に対して:
- 「他の可能性は考えられないだろうか?」(同僚は単にその話題で盛り上がっていただけで、自分を排除する意図はなかったかもしれない。他の人も聞いていただけかもしれない。)
- 「その考えに反する事実は?」(以前、別の話題では同僚と楽しく話したことがある。他の休憩時間の話題では輪に入れたこともある。)
このように問いかけることで、「自分は絶対に輪に入れない存在だ」という自動思考が、現実にはそこまで絶対的なものではないかもしれない、別の見方もできるかもしれない、と気づくことができます。そして、少しバランスの取れた「別の考え方」(例:「今は入れない話題だったけど、別の機会に話せるだろう」「すべての会話に入る必要はない」)を試すことで、感情や行動にも変化が生まれる可能性があります。
この「問いかけ」の練習は、最初は難しく感じるかもしれませんが、続けていくうちに少しずつ慣れていきます。完璧を目指す必要はありません。
セルフワークの限界と専門家への相談について
ご紹介したCBTの基本的な考え方や記録のワークは、日々のセルフケアや自身の心のパターンの理解に役立つことがあります。しかし、これはCBTのほんの一部であり、効果には個人差があります。
以下のような場合は、ご自身だけで抱え込まず、専門家への相談を強く推奨します。
- つらい感情や身体の不調が続き、日常生活(仕事、睡眠、食事など)に支障が出ている場合。
- セルフワークを試しても、ほとんど変化を感じられない、あるいはかえってつらくなった場合。
- 自殺を考えたり、自分を傷つけたい気持ちが強い場合。
- 過去のトラウマや複雑な問題を抱えている場合。
- そもそも、どのようにセルフワークに取り組めば良いか分からない場合。
専門家(精神科医、臨床心理士、公認心理師など)によるCBTでは、個々の状況や課題に合わせて、より体系的で専門的なアプローチを行います。自動思考への問いかけだけでなく、行動実験、曝露療法、ロールプレイングなど、多様な技法が用いられます。また、安全な環境で専門家のサポートを受けながら取り組むことで、より深い気づきや変化に繋がりやすくなります。
「にじいろメンタルケア」サイトでは、LGBTQ+当事者の方が安心して相談できる専門機関や相談窓口のリストもご紹介しています。どこに相談すれば良いか分からない、専門家選びに不安があるという方は、ぜひそちらの情報も参考にしてみてください。
まとめ:心の健康を守るための一歩として
認知行動療法(CBT)の考え方を知ることは、ご自身の心の動きを理解し、日々のストレスや困難に立ち向かうための一つの力になります。出来事に対して自動的に浮かぶ考えが、どのように感情や行動に繋がるのか、そのパターンに気づき、バランスの取れた考え方を練習することは、セルフケアとして有効なアプローチです。
しかし、セルフケアだけで解決が難しい課題があることも事実です。つらい時、一人で抱え込まず、専門家のサポートを求めることは決して恥ずかしいことではありません。むしろ、ご自身の心の健康を大切にするための、勇気ある賢明な選択です。
この記事が、ご自身の心の状態に目を向け、必要に応じて適切なサポートを探すための一助となれば幸いです。ご自身のペースで、心を守るための一歩を踏み出してください。